私は全般性不安障害になる前は一人で暮らしていました。その頃の私は派遣社員として働きながら生活をしていました。
20代も後半さしかかり30代も見えてきたところで、「資格を取ってそれを活かして生活したい!」と思うようになり、お金をためて国家資格を取るために資格の勉強を始めました。
ところがなかなか合格までは至らず、しかも派遣の方も職場が変わり収入面でもだんだんと苦しくなってきました。
実家に帰ると楽になるけど・・・
そんな私の現状を心配した私の父親と母親は「実家に帰ってじっくり勉強すればよいのではないか」と提案してくれたのです。
自分の将来を考えれば、本来であれば喜んで甘えるところなのでしょうが、私の心は少し複雑でした。
というのも、『実家』と言っても一度も住んだことのない場所であり、今の父親と住むのが初めてだったからです。
私の家は両親が子供の頃に離婚しており、私は親の元を行ったり来たりを繰り返していました。
子供の頃のトラウマ
最初の離婚の時に父親(血の繋がった父親)に引き取られたのですが、その頃に受けた父からの圧力が元で、『父親』という存在に対して苦手意識を持っていたのです。
その後母親の元に行くことになりましたが、そのとき母はすでに再婚してました。
二人目の父親(こちらも今の父親とは違う)は暴力はなく良い方だったのですが、母と別れるさいに起こした強烈な行動が、私に『父親』という存在に対する不信を再び強く植え付けました。
今なら最初の父も二人目の父も、『父親』という存在の前に一人の人間であり、生活の中で辛いこともあったんだと理解はできています。
しかし子供の頃に受けたトラウマは、私の中の『父親』という像を、心から欲っした愛しい存在から苦手な存在へと変えてしまっていたのです。二人目の父親の強烈な行動を目の当たりにした私は親元を離れたいと考え、母親の三度目の再婚を機に都会へと移り住んだのです。なお、母に再婚を勧めたのは私を含む兄弟姉妹です。
母は三度目の再婚にかなり慎重でしたが、母親の将来を考えて私達が再婚を勧めました。
今の父親は少しクセはある(←ここ重要)ものの、とても家族想いの父親です。ただ、この頃の私はとりあえずは自由に生きたいと考えて都会へと移り住んだのです。
このタイミングで母は父親の家(つまりは今の実家)へと引っ越しをしました。『私の実家』と言っても一度も住んだことがないというのはこういう意味です。
この頃の私は今の父親に対して、それまでの人生で得た父親観が原因で、無意識に心のなかで何かしらの壁を作って構えて接していました。
私が実家に戻るまでの間は年に何度か実家に帰っていたので、父と何度も顔を合わせていましたが、その頃は長くても一日二日だったのでそれほど辛いということはありませんでした。しかし、一緒に住むとなるとこうはいきません。父親にものすごく気を使ってしまい、父親の顔色を見ながら生活するようになってしまったのです。
「30代にもなって父親を気にするなんて」と思われる方もいるかもしれませんが、父親にマイナスイメージしか持てない人生を過ごしていたためなかなか思考を変えることができません。
これも思考の癖の一つですし、トラウマの怖さでもあります。他人から見れば簡単な事でも、解決方法を知らない本人からすると、思考の癖やトラウマはとても高い壁なのです。
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